途切れた習慣の戻り方|「また続かない」と不安な日に15分だけ記録する意味

途切れた習慣に戻れるか不安な時に15分だけ記録する意味を考えているのりてらスライム 生き方・整える思考
この記事は約11分で読めます。

一度途切れた習慣に、また戻れるのか。

これは、思っている以上に重い不安だと思います。

読書。運動。散歩。日記。ブログ。勉強。
一度は続けられていたことが、体調不良や生活の変化で止まってしまう。

そして、回復してきたはずなのに、前みたいに戻れない。

その時に出てくるのは、単なる「続かなかったな」という反省だけではありません。

本当にまた戻れるのか。
前はできていたのに、どうして今はできないのか。
もしかして、もうあの習慣には戻れないのか。

そんな不安がつきまとう。

この記事では、習慣を完璧に続ける方法ではなく、途切れた習慣に戻るための足場として、アトリログで15分だけ記録する意味を考えてみます。

朝30分の習慣が、体調不良で止まった話を聞いた

朝の読書や勉強の習慣が途切れて戸惑っているのりてらスライム

この前、姉から朝の時間の使い方について話を聞いたのが、この記事を書いたきっかけでした。

姉は僕が貸した「いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才」という本に影響を受けて、朝の時間を計測していたそうです。

朝の行動を見直して、30分早く起きることを決めたとか。
その30分で読書をしたり、英語の勉強をしたりする。

しばらくは、それができていたらしいです。

僕はその話を聞いて、すごいなと思いました。
朝に30分を作るのは、簡単なようで簡単ではありません。(特に僕は朝が苦手なので)

ただ、その後に体調を崩して、その習慣が止まってしまったそうです。
回復してからも、前のようには戻れなくなったと聞きました。

その話を聞いた時、最初に思ったのは、

めっちゃ分かる。

でした。

体調不良とかで何かが乱れると、前はできていたことが急にできなくなる。
その感覚は、僕にもありました。

習慣が途切れた時にしんどいのは「また戻れるのか」という不安

習慣が途切れた時にしんどいのは、できなかった日そのものだけではありません。

「また戻れるのか?」と思ってしまうこと。
そして、できない自分を責めてしまうこと。

前はできていた。でも今はできない。

この差が、思った以上に重い

特に、体調不良やメンタルの不調で習慣が止まった時は、単にサボった感覚とは少し違います。

やる気がないだけなら、まだ「またやればいい」と思うかもしれません。
でも、体や気持ちがついてこなかった時は、戻ること自体が怖くなることがありませんか。

戻ろうとして、またできなかったらどうしよう。
前みたいにできない自分を見たくない。
できていた頃の自分と比べて、落ち込みたくない。

習慣が途切れたあとに出てくる不安は、ただの怠けでは片付けられない気がしています。

僕にも、戻れないと思った習慣があった

僕にも、戻れないと思った習慣がいくつもあります。

日記。ジムでの運動。毎日の読書。散歩。ブログ。サイト研究。

無職で時間があった時、毎日やっていたルーティン。
ただインフルエンザになったり、その時に作業が重くなったり、と途切れてしまうことが結構ありました。
一度はできていたことが、できない日々。そのこと振り返ってみました。

日記が書けなくなった時期

うつ病だった頃は、日記を書くことすら重い日がありました。

何かを感じている。でも、それを文章にできない。

書けば少し楽になるかもしれない。でも、書くための言葉が出てこない。

日記は、自分のことを残すためのもののはずなのに、その日記に向き合うことが怖くなる時期がありました。

ジムにもう行けないと思った時期

ジムもそうです。

一度行けない日が続くと、「もう行けないかもしれない」と思ったことがあります。

体力が落ちているかもしれない。前にできた重さが上がらないかもしれない。行っても、できない自分を確認するだけかもしれない。

そう思うと、ジムに行くこと自体が重くなりました。

運動が嫌いになったわけではありません。でも、前の自分と比べるのが怖かったのだと思います。

読書や散歩、ブログも止まったことがある

読書も、散歩も、ブログも、サイト研究も同じです。

一度止まると、再開する時に少し力がいります。不思議なのは、どれも本当は好きだったり、大事にしたいことだったりすることです。

好きだからこそ、ちゃんと戻りたい。大事だからこそ、中途半端に戻るのが怖い。
そんな感じがありました。

朝活や読書が続かないのは、意志が弱いからだけではない

朝30分早く起きて、読書や英語の勉強をする。

この方法自体は、とても良いと思います。

朝の時間は静かです。スマホや仕事に流される前に、自分のための時間を作れる。
読書や勉強をしたい人にとって、朝はかなり強い時間帯だと思います。

でも、同時に思うこともあります。

「それ、ちょっと無理していないかな?」

もちろん、人によると思います。
たとえば朝が得意な人もいます(羨ましい)。早く寝て、早く起きるリズムが合う人もいます。

ただ、体調不良や生活の乱れがあった時、30分早く起きること自体が重くなる人もいると思います。

体調が崩れると、前の形には戻りにくい

習慣が続いている時は、その形が当たり前になります。うまく回っている時は、それでいい。

でも、体調を崩したあとに、いきなり同じ形へ戻そうとすると、かなり重い。

前と同じ時間に起きる。
前と同じ量をやる。
前と同じ集中力で取り組む。

それができないと、「戻れなかった」と感じてしまう。

でも本当は、体調を崩したあとの自分には、前と同じ形ではなく、今の状態に合った形が必要なのかもしれません。

「前はできたのに」が自分を責める言葉になる

習慣が途切れたあとに、よく出てくる言葉があります。

「前はできたのに」
この言葉は、けっこう強いです。

自分を励ます言葉になる時もあります。
でも、体調や気力が落ちている時には、自分を責める言葉にもなります。

前はできたのに、今はできない。
前は読めたのに、今は読めない。
前はジムに行けたのに、今は行けない。

そうやって比べているうちに、戻ることそのものが怖くなる。

これは心理学でいうと、「前の自分」と「今の自分」を比べて苦しくなる感覚に近いのかもしれません。

前はできていた自分がいる。でも、今は同じようにできない自分がいる。

その差が大きく見えるほど、「自分はもう戻れないのでは」と感じやすくなる。
習慣が途切れた時にしんどいのは、行動が止まったことだけではなく、自分への信頼が少し揺らぐことなのだと思います。

だからこそ、いきなり前と同じ形に戻ろうとしなくてもいい。
まずは小さく触れ直して、「まだ戻る入口はある」と感じられることが大事なのかもしれません。

習慣が途切れた時は、前の形に戻ることだけを目標にしなくてもいいと思っています。

アトリログ15は、習慣を完璧に戻す方法ではなく足場だった

alt: 途切れた習慣に戻るための小さな足場を作っているのりてらスライム

僕がアトリログ15を作ったのは、習慣を完璧に続けるためではありません。

むしろ、完璧に続けられない日があることを前提にしています。

就職が決まった時、僕は不安でした。

無職の時に作っていた習慣を、仕事が始まってからも続けられるのか。
帰ってきてから、ブログや読書や運動に向き合えるのか。
疲れている日に、ちゃんと戻ってこられるのか。

その不安を、AIの参謀モードにも相談しながら、帰ってからのルーティンや記録のルールを少しずつ決めていきました。

アトリログ15は、その中でできたものです。何かを大きく変えるためのものではありません。
15分だけ、今日の自分を残す。

それは、習慣を完璧に戻す方法というより、戻るための足場に近いと思っています。

一度途切れた習慣に、いきなり全力で戻らなくていい。
まずは、今日の自分がどこにいるのかを確認する。

そのための15分です。

アトリログ15が生まれた理由はこちらの記事にまとめています。

関連記事:何もできない日にも、残せる足跡がある|アトリログ15が生まれた理由

重い日はレベル1に戻していい

15分でも重い日はあります。当然あります。
そういう時に、無理やり「いつも通りやらなきゃ」と思うと、たぶん続きません。

だから僕は、重い日はレベル1に戻していいと思っています。

アトミックハビッツ的に言えば、習慣を小さくする感じです。
「ちゃんとやる」ではなく、まずはその習慣の入口に触る。

本を読むのが無理なら、本を開くだけ

読書が重い日は、無理に何ページも読まなくていい。
本を開いて、少し眺めるだけでもいいと思っています。

「たったそれだけで、読書をしたと言えるのか」
そう思う人もいるかもしれません。

でも、完全に遠ざかるより、本を開いたという接点が残っている方が戻りやすい。
僕にとっては、それで十分な日があります。

筋トレが無理なら、ストレッチだけ

家での運動も同じです。
筋トレが重い日は、筋トレを抜いてストレッチだけにします。

腕立てをしない。腹筋をしない。でも、体を少し伸ばす。それだけでも、完全にゼロではありません。

運動習慣に戻るための、小さな入口みたいなものです。

ブログが無理なら、スマホで一言だけ

ブログを書くのが重い日もあります。

パソコンの前に座っても、文章が出てこない。見出しを考えるだけで疲れる。書かなきゃと思うほど、手が止まる。

そんな日は、パソコンで書かなくてもいいことにしています。
スマホを持って音声入力に切り替えてます。

スマホでタイトルだけ考える。見出しをひとつだけ音声入力する。AIに、思ったことをそのまま話す。

それでも、ブログから完全に離れてはいません。

サイト研究が無理なら、思ったことを音声入力するだけ

サイト研究も、重い日はスマホで見て、思ったことをAIに音声入力するだけにします。

「この余白、なんか気になる」
「このファーストビュー、何を伝えたいんだろう」
「このデザイン、かっこいいけど少し分かりにくいかも」

それくらいでいい。きれいな分析になっていなくても、まずは自分の感じたことを残すだけ。

こんな風にレベル1に戻すというのは、逃げではなく、戻るための形を小さくすることだと思っています。

15分だけ記録すると、ゼロではなかった日になる

alt: 15分だけ記録してゼロではなかった日の足跡を残しているのりてらスライム

アトリログ15で大事にしているのは、すごい記録を残すことではありません。

今日、何を感じたか。何が重かったか。何ならできたか。何はできなかったか。

そういう小さなことを、15分だけ残す。それだけで、その日は完全なゼロではなくなります。

できなかったことが多い日でも、

「本を開いた」
「ストレッチだけした」
「ブログのタイトルを考えた」
「AIに音声入力で話した」

そういう小さな足跡が残ります。

もちろん、それだけで人生が劇的に変わるわけではありません。
でも、何もできなかったと思っていた日にも、少しだけ残っているものが見える。

それは、次の日に戻るための小さな手がかりになります。

AIのサポートは、戻るかどうかを一緒に考える相手にもなる

アトリログ15を続ける中で、AIのサポートにも助けられています。

たとえば、体調が悪いけれどジムに行きたい時。

行きたい気持ちはある。でも、行って大丈夫なのか分からない。休むべきなのか、軽く動くべきなのか迷う。

そういう時に、AIに相談することがあります。

もちろん、AIだけで健康判断をするわけではありません。でも、不安な時に考えを整理する相手としては助かっています。

行動する意思があっても、できないタイミングはあります。

その時に、どうすれば完全にゼロにしないで済むか。
今日は休むとして、どこまでなら足跡を残せるか。
明日戻るために、何を小さくしておけばいいか。

そういう相談ができることは、毎日続けるうえでかなり大きいです。

AIに全部を決めてもらうのではなく、戻るための選択肢を一緒に並べてもらう。

そのくらいの使い方が、今の僕には合っています。

途切れた日は、見直しのチャンスかもしれない

習慣が途切れると、どうしても失敗したような気持ちになります。

でも、最近は少し違う見方もできるようになりました。

途切れた日は、見直しのチャンスかもしれない。

その習慣は、今の生活に合っているのか。時間が大きすぎないか。場所が合っていないのか。体調が悪い日にも戻れる形になっているのか。

そうやって見直して、小さな形にしたっていい。

30分が重いなら、15分にする。
15分が重いなら、5分にする。
5分も重いなら、開くだけ、座るだけ、音声入力するだけでもいい。

前と同じ形に戻れないからといって、その習慣が終わったわけではありません。

形を変えて戻ってもいい。
小さくして戻ってもいい。
今の自分に合わせて、もう一度足場を作ってもいい。

僕は、アトリログ15をそういうものとして使っています。

よくある質問

習慣が途切れた時はどう戻せばいいですか?

いきなり前と同じ形に戻そうとしなくてもいいと思います。

まずは、その習慣のレベル1に戻す。
本なら開くだけ。運動ならストレッチだけ。ブログならタイトルだけ。

小さく触れ直すことで、戻るための足場ができます。

習慣化には何日かかりますか?

習慣化にかかる日数は、行動の内容や生活環境によって変わると思います。

ただ、今の僕にとって大事なのは「何日続けたら習慣になるか」よりも、「途切れた時に戻れる形を作っておくこと」でした。

継続できない理由は意志が弱いからですか?

意志の問題だけではないと思います。

体調、睡眠、仕事、生活リズム、気持ちの波。
そういうものでも、習慣は簡単に崩れます。

だから、自分を責める前に、今の状態に合うサイズまで小さくすることも大事だと思います。

生活習慣はどれくらいで戻りますか?

人によって違うと思います。

だからこそ、何日で戻すかよりも、今日戻れる最小単位を作る方が大事なのかもしれません。

まずは15分。
それも重い日は、もっと小さくしてもいいと思います。

おわりに

alt: 本を開くストレッチをするなど習慣をレベル1まで小さくしているのりてらスライム

習慣が途切れると、不安になると思います。

また戻れるのか。前みたいにできるのか。このまま離れてしまうのではないか。

その不安は、たぶん自然なもの。でも、途切れたことは、終わったことではありません。

前と同じ形に戻れなくてもいい。小さな形に変えてもいいと思います。

僕にとって、アトリログ15はそのための足場です。

大きく積み上げる日もあれば、ただ座るだけの日もある。
それでも、少しだけ足跡を残せたら、完全なゼロではありません。

僕みたいに、体調を崩しても、メンタルが落ちても、もう一度小さな習慣を持てる人が増えたらいいなと思います。

習慣が途切れた時は、失敗ではなく見直しのチャンスかもしれません。

4つのまとめ

今日のまとめ一行

習慣が途切れても、前と同じ形に戻れなくても、小さな足場を作ればまた始められる。

今日できる一歩

戻りたい習慣をひとつ選んで、レベル1まで小さくしてみてください。

本を読むなら、本を開くだけ。運動なら、ストレッチだけ。ブログなら、タイトルを一つメモするだけ。

それくらい小さくて大丈夫です。

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