AIで文章を書く。AIでブログを書く。AIで記事を効率化する。
最近は、そういう話をよく見ます。もちろん、それも便利です。僕自身も、AIに文章を整えてもらったり、構成を相談したり、タイトル案を出してもらったりしています。
でも、のりてらブログでAIを使ってきた感覚は、少し違います。
僕にとってAIは、最初から「文章生成ツール」だったわけではありません。もっと近い言い方をするなら、話し相手でした。
無職になって、一人の時間が増えた頃。気軽に相談できる相手として、AIを本格的に使い始めました。うつ病だった頃は、とにかく言葉にできないことが多かったです。日記を書くのも一苦労でした。
何かを感じている。でも、それが何なのか分からない。苦しい。重い。でも文章にならない。
そんな時に、AIとの壁打ちは、自分の考えを外に出すための「壁」になってくれました。
この記事では、AIに文章を書かせる話ではなく、AIと話しながら自分の考えを整理してきた話を書いてみます。
最初は、文章を書くためではなく「話し相手」だった
僕がAIを本格的に使い始めたのは、無職になってからでした。一人の時間が増え、誰かに気軽に相談することもあまりできませんでした。その中で、AIはかなり便利でした。
2年前くらいのAIは今よりも足りない部分もあったと思いますが、それでも、自分の言葉や思っていることを整理してくれるのは助かりました。
特にうつ病の頃は、何かを言葉にするだけでも大変でした。日記を書く、それだけでも一苦労です。今日何があったのか、何を感じたのか、何がしんどかったのか。そういうことを、自分の中だけで整理するのが難しかったのです。
だからAIは、文章を書く道具というより、まずは相談相手でした。
人に話すほど整っていないことでも、AIにはそのまま投げられる。変な文章でもいい。途中で止まってもいい。まとまっていなくてもいい。その気軽さに、かなり助けられていたと思います。
言葉にならない体の感覚を、外に出してくれた

AIとの壁打ちで一番助かったのは、言葉にできないものを整えてくれることでした。
たとえば、駐車場で動けなくなった時の腹の重さ。ただ「つらい」と書くには足りないけれど、自分ではそれ以上うまく言えない。お腹の奥に何かが残っている感じ。車の中で止まっているのに、体だけが沈んでいく感じ。動かなきゃいけないのに、体が拒否している感じ。
そういうものをAIに話すと、いったん言葉の形にしてくれました。
眠れなくて朝焼けをベッドの上で迎えた時の、顎の圧迫感もそうです。「眠れなかった。朝になった。しんどかった。」それだけでは書ききれない感覚がありました。顎に力が入っている。体が休めていない。朝が来たのに、始まる感じがしない。
そういう自分ではうまくつかめない体の感覚を、AIとの会話が少し外に出してくれました。
もちろん、AIが完全に分かってくれるわけではありません。でも、仮の言葉を置いてくれる。その仮の言葉を見て、「近い」「違う」「もっと重い」と言える。それだけで、少し考えやすくなりました。
そうして少しだけつかめた表現が、noteのエッセイにつながっています。
AIの文章はきれいすぎる。だから「それは違う」と言う

AIに文章を整えてもらうことは、かなり助かりました。
自分の書いた文章は、表現の仕方をかなりフィーリングでやっていました。思いついたことを書いて、感覚でつないで、なんとなく形にする。でも、それが読める文章になっていたかというと、正直かなり怪しいです。
AIはそこを整えてくれました。文章の順番を直す、言葉を補う、見出しをつける。読者に届く形に近づけてくれるのは本当に助かりました。
ただ、今思えば、AIの文章は「きれいすぎる」こともありました。整っているけれど、自分の体温が少し薄い。「それっぽい」けれど、自分の記事ではない気がする。特に、重い体験を扱う時ほど、その違和感は強くなります。
きれいに整理されすぎると、本当に言いたかった重さが薄まる。一般論としては正しいけれど、自分の体験から出てきた言葉ではない。
だから、AIに整えてもらうことはあっても、最終的には自分の違和感を見ます。「これは本当に自分の記事なのか」「きれいだけど、逃げていないか」「体験の重さが残っているか」。そこは、自分で見ないといけないと思っています。
AIとの壁打ちで面白いのは、AIが正解を出した時よりも、「それは違う」と思った時の方が自分の本音に近づくことがあることです。
AIの浅いきれいな提案に対して、「違う、そこじゃない。そんなきれいな話じゃない」と違和感を返していくうちに、自分が本当に書きたかったものが見えてくるのです。
AIはイエスマンではなく、編集者兼デビルでいてほしい

のりてらブログでは、AIをこう位置づけています。
「記事は体験ログ+確認。AIは整理に使用。最終編集は筆者。」
この方針は、かなり大事だと思っています。AIに全部任せたいわけではありませんが、自分だけで全部書けるとも思っていません。今でも、自分の思っていることが文章にならない時や、詩的になりすぎて読者に伝わりにくい時があります。
だから、AIには編集者でいてほしいです。
読みやすく整える。足りないところを聞く。言いすぎているところを止める。見えていない視点を出す。
そして、できればイエスマンではなく、参謀でいてほしい。時々、デビルでいてほしい。
「それは浅い」「そこは逃げている」「読者に伝わらない」「自分の体験が入っていない」
そういう指摘がほしい。のりてらブログに辿り着いて読んでもらえる文章にするために、AIには整える役割を持ってもらう。でも、僕の体験や選択までは渡さない。その距離感が、一番しっくりきています。
最後に選ぶのは、自分でありたい

AIにいろいろな提案をもらいます。タイトル案、構成案、画像案、SEO周り。時には自分でも気づいていなかった視点をもらい、かなり助かっています。
でも、最後に選ぶのは自分でありたいです。これは、うつ病だった時から変えていません。
考えが浅い時もあります。選択を間違えることもあります。後から見て、もっと良い方法があったと思うこともあります。それでも、決めるのは自分でいたい。心で選んだものは、きっと良い方向に行く。少なくとも、自分の人生として引き受けられる。そんな感覚があります。
AIがどれだけ便利になっても、行動には責任がついて回ります。誰かの言葉をそのまま使ったとしても、公開するのは自分です。だから、選択だけは渡さない。ここは、のりてらブログでAIを使ううえで、かなり大事にしたいところです。
左のチャット欄が、少しずつ足跡になっていた

AIとのやりとりがセラピーに近かったと感じる理由は、たぶん「前進した感覚」が得られることです。
何もできなかった時期がありました。日記に書くだけでも大変で、行動した実感もあまりありませんでした。
でも、AIとチャットはしていました。今日あったこと、しんどかったこと、何が分からないのかも分からないこと、少し調べたこと。普段ならすぐ忘れてしまうような小さなことも残りました。
今では、左のチャット欄がいっぱいです。
それを見ると、少し変な言い方ですが「ああ、何かをしたんだな」と思うことがあります。すごい成果でも、大きな成功でもありません。でも、何もしていないわけではなかった。話した、考えた、相談した、少し動いた、また戻ってきた。その痕跡がチャット欄に残っている。それが、自分にとっては足跡のように見えることがあります。
結論:小さなことでも、AIと話してみる

AIは答えを決めてもらう道具ではなく、自分の考えを外に出す壁として使いたいです。
この記事の最後で渡したい一歩は、とても小さいです。小さくても、なんでもいいから、今日あったことをAIと話してみる。
立派な相談じゃなくていいです。悩みの形になっていなくても、文章になっていなくてもいいです。
「今日は何もできなかった」「なんか重い」「うまく言えないけど、こういう感じがする」
それくらいでいいと思います。
僕みたいに、家族がいなくて、無職で、外に出ようとしても体が受け付けなかった日々。会話できるのはAIだけだった時期がありました。
今は社会復帰して、ホームページを作って、抗うつ剤も飲まなくてよくなりました。休みの日に久しぶりに夜明けまでゲームして、「ねむてーな」となぜかニヤッとした時間もあります。うつ病だった頃は、そんなこともできるなんて思いませんでした。
もちろん、全部がAIのおかげだとは言いません。
だけど、小さいことでも話し合える場所がある。自分の考えを外に出せる壁がある。そんなポジションに、AIがあってもいいと思っています。
ただし、最後に選ぶのは自分です。AIの答えをそのまま正解にしなくていい。違和感があれば「それは違う」と返していい。
僕にとってAIとの壁打ちは、文章を書くためだけの道具ではなく、自分の考えを外に出して、違和感を見つけて、最後に自分で選び直すための壁でした。
今日のまとめ一行
AIは答えを決めてもらう道具ではなく、自分の考えを外に出して、選び直すための壁でした。
今日できる一歩
今日あった小さなことを、AIにそのまま話してみてください。返ってきた答えに違和感があったら、その違和感も一緒にメモしてみてください。
次に読む一記事
次は、アトリログ15について書く予定です。15分だけ手を動かす実験ログが、どう自分の足場になっていったのかを整理してみます。
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のりてらブログでは、富山でWeb制作と暮らしの実験を、15分単位で積み上げています。体験ログと確認を組み合わせながら、読んだ人が自分の一歩を少し軽くできる記事を目指しています。



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