何もできない日にも、残せる足跡がある|アトリログ15が生まれた理由

何もできない日に15分だけの足場を進むのりてらスライム 生き方・整える思考
この記事は約9分で読めます。

何かを始めたいと思っているのに、何もできない日があります。

時間はある。
でも、気づけばYouTubeを見続けている。
本を読もうとしても開けない。
ブログを書こうとしても、画面の前で止まる。
日記を開いても、白いまま終わる。

そんな日が続くと、「自分は何をしているんだろう」と思います。

でも、そこでいきなり「習慣化」や「朝活」「自己管理」を持ち出すと、少し僕には重かった。
毎日続ける。ちゃんと成果を出す。生活を整える。
そう言われるほど、動けない日の僕には遠く感じます。

だから僕は、もっと小さい単位が必要でした。

15分だけ。
完成させなくていい。少し手をつけて、あとから見返せるように一言だけ残す。

その小さな実験ログを、僕は「アトリログ15」と呼ぶことにしました。

この記事では、アトリログ15がどう生まれたのか、そして何もできない日やコントロールできない時間の中で、15分だけ足跡を残すことにどんな意味があったのかを書いてみます。

アトリログ15とは?|15分だけ手を動かして足跡を残す「実験ログ」

アトリログ15

アトリログ15は、何もできない日をゼロで終わらせないために、15分だけ手を動かして残す実験ログです。

ただ、今の僕はもう少し広く考えています。
それは、コントロールできない時間に流されきらないための15分でもある、ということです。

元気な人が毎日を最適化するための習慣術ではありません。
「ちゃんと続ける」ことを競う仕組みでもありません。
止まりかけた日でも、自分の手に少しだけ時間を取り戻すための、小さな実験ログです。

検索しても出てこなかったから、自分で名前を作った

アトリログ15という言葉は、最初からあったわけではありません。

15分だけの行動を毎日やっていた時に、僕はこの行動に名前をつけたくなりました。
ただの思いつきではなく、「これが今の自分を支えている」と感じていたからです。

検索しても、しっくりくる言葉はなかなか見つかりませんでした。
どうせならGoogleで検索して、「その検索ワードはありません」となるくらい、まだ誰も使っていない言葉がいい。そんな気持ちも少しありました。

いろいろ探して、やっとたどり着いたのが「アトリログ」でした。

名前がついたことで、バラバラだった小さな行動が、ひとつのまとまりとして見えるようになりました。
「これはただの気分転換じゃない」「自分にとって意味のある実験なんだ」と思えるようになったのです。

「アトリ」という言葉に込めた、アトリエと冬鳥の想い

小さなアトリエのような机のある部屋。机の上にはノート、ペン、15分タイマー、小さな紙やメモがあり、のりてらスライムが静かに何かを書いたり作ったりしている。窓の外には冬のやわらかい空気があり、細い枝に小さな鳥がとまっているか、遠くを飛んでいる小さな鳥の姿が見える。

アトリログの「アトリ」には、2つの意味を重ねています。

ひとつは、アトリエです。
小さく作る場所。手を動かす場所。未完成でも、何かを置いていける場所。
アトリログ15も、そういう場所であってほしいと思いました。

もうひとつは、富山県にも飛来する冬鳥のアトリです。
シベリアから富山まで来るらしいと知って、「少しずつでも続ければ、思っていたより遠いところまで行けるかもしれない」。そんな願いも込めました。

大げさに言いたいわけではありません。
でも、15分を積み重ねることで、自分の想像より少し先へ行けるかもしれない。そのくらいの意味は、この言葉に残しておきたかったのです。

普通の「習慣化」ではなく、新しいことを試す「実験時間」

アトリログ15は、普通の習慣化と少し違います。

僕の中で習慣化というのは、「これをしないと」を生活に取り入れる取り組みです。朝起きたら走るとか、毎日何ページ読むとか、決めたことを生活に組み込んでいくイメージがあります。

でも、アトリログ15はそこまで整ったものではありません。

何もできない日でも、少し何かを試す。
そして、その行動を記録して足跡にする。

だから、アトリログ15は成功記録ではなく、実験記録です。
うまくいったことだけを残すのではなく、微妙だったことも、迷ったことも、失敗したことも残していい。むしろ、そのほうが自分の実感に近いと思っています。

なぜ「15分」なのか? 5分では短く、30分では重かった理由

5分・15分・30分の時間感覚を比べる画像

なぜ15分だったのか。

これは、『アトミックハビッツ』の影響もあります。
でも実際には、それ以上に「当時の自分にとって扱いやすい長さだった」という理由が大きいです。

5分だと、少し短すぎました。
何かを始める前に終わってしまう感じがありました。

逆に30分だと、毎日続けられる自信がありませんでした。
無職でうつ病だった頃は、とにかく何もできない時間が多かったからです。日記を開いても白紙。何かしなければと焦るのに、体は動かない。そんな日がかなりありました。

その中で15分は、日記に書くにはちょうどいい行動時間でした。
何かを完成させるには短いかもしれない。
でも、「何かをした」と残すには、ちょうどいい長さだったのです。

15分で人生が変わるとは思っていません。
でも、15分あれば、真っ白な日を少しだけ変えることはできる。それが、僕にとっての15分でした。

アトリログ15の入口を先に見たい方へ
アトリログ15の考え方や、これから育てていく固定ページの入口は、こちらにまとめていく予定です。
現在制作中

何もできない日に僕がやっていた、アトリログ15の使い方

玄関に出る、本を手に取る、冷蔵庫を開けるなど小さな行動を並べた画像

アトリログ15の実際の使い方は、かなり小さいです。
僕がやっていたのは立派な行動ではなく、むしろ「そこまで小さくしていいのか」と思うくらいのことばかりでした。

やりたいことを、かなり小さく分解する

たとえば、こんな感じです。

  • 散歩: 玄関に出るだけ
  • 読書: 読めなくても字を目で追うだけ
  • Web研究: サイトを眺めるだけ
  • ブログ: 本文を書く前に、見出しやタイトルをメモするだけ

それ以外にも、「ジムの靴を履くだけ」「銭湯の準備で荷物を袋に入れるだけ」「料理するために冷蔵庫を開くだけ」みたいなこともありました。

やりたいことを、そのままの大きさで扱わず、レベルや段階に分ける。ここは、かなり『アトミックハビッツ』の影響を受けています。

15分で「完成」させようとしない

ここはかなり大事です。
アトリログ15は、15分で何かを完成させる仕組みではなく、15分だけ手をつけるための仕組みです。

正直に言うと、最初は15分も続かなかったと思います。だから当時の僕にとっては、「15分続けること」自体が目標でした。

  • ブログ本文を仕上げるのではなく、見出しだけでもいい。
  • 本を読み切るのではなく、手に取るだけでもいい。
  • 運動をやり切るのではなく、靴を履くだけでもいい。

完成ではなく、着手。それだけでも、真っ白な日とは少し違いました。

やったことを、必ず一言だけ残す

アトリログ15で一番大事なのは、たぶんここです。
絶対に記録すること。

僕の場合は日記でした(時期によってはNotionも使っていました)。
大事なのは、立派な振り返りを書くことではありません。「靴を履いた」「本を手に取った」みたいに、一言でいいから残すことです。

何もしていないと思っていた日でも、記録を見返すと「ああ、これだけはやったんだな」と分かります。その積み重ねが、あとから見ると足跡に変わっていきました。

僕にとっては、毎日完璧に続けることより、「またこの机に戻ってこられた」という感覚の方が大事でした。

重すぎたら、家の中まで戻す

逆に、15分のつもりでも重すぎる行動もありました。

たとえば、「ジムで運動する」「イオンで散歩する」「図書館で読書する」。
一見15分でできそうですが、当時の自分には重かったです。家を出て、移動して、準備する。そこまで含めると、もう15分ではありません。

だから、重すぎる時は家の中まで戻す
最初は玄関まででいい。机の前まででいい。冷蔵庫を開けるだけでいい。
そのくらいまで小さくすることが、続けるより先に必要でした。

アトリログ15は、コントロールできない時間に流されないためのもの

流される時間から小さな机に戻る画像

アトリログ15が必要になった理由は、うつ病の時だけではありません。
その前から、僕はコントロールできない時間を多く持っていました。

仕事をしながら介護していた頃は、自分のための時間をほとんど作っていなかったように思います。ただ流されていた。時間があっても、YouTubeを見続けて終わることのほうが多かった。

そして介護が終わったあとの、「何も残らなかった」という感覚。
今でも覚えています。死後の色々な手続きをして、終わった時のこと。僕は帰りの車を、直ぐ発進させる事が出来ませんでした。介護と仕事のだけの生活から解放されたはずなのに。車から見える夜の暗闇に飲まれていくような、無力感。
あの生活に行き着いた先が、長い無職期間や、うつ病の要因にもつながったようにも思えた。

抗ウツ剤を飲まなくてもよくなった今だからこそ。ほんの少しでもいいから、自分で何かをしている時間。それがあの時の僕に必要だったと、強く感じています。

アトリログ15は、そういう体験から生まれた言葉です。
何か大きな成果を出すためではなく、流されきらないために。自分の時間を、15分だけでも自分の手に戻すために。

のりてらブログの「作る・学ぶ・楽しむ」をつなぐ言葉に

のりてらブログのテーマには、「作る・学ぶ・楽しむ」があります。
ただ、記事が増えると、どうしても散らばって見えます(Web制作、ブログ改善、AIとの壁打ち、読書、暮らしの実験など)。

どれも僕にとってはつながっているのに、初めて来た人には少し分かりにくいかもしれない。その時に、アトリログ15という言葉があると、これらをつなげやすくなると思っています。

そしてアトリログ15は、その足場や壁打ちを、実際の行動に落とし込む段階だと思っています。
作る、学ぶ、楽しむ。そのどれもが、15分だけ手を動かして足跡を残すことから始められる。アトリログ15は、そのための言葉になってくれるはずです。

アトリログ15のLPページも作っています

この記事は、アトリログ15の誕生ログです。

一方で、LPページの方は、アトリログ15の説明書・入口・ハブページとして育てていく予定です。「アトリログ15って何?」と思った人が、そこから考え方や関連記事に入っていけるようにしたいと思っています。

誰かのサンビタミンになるって目標を叶えるために、少しずつ作っていきます。

アトリログ15のLPページを見る
現在制作しています後日公開予定

今日の15分は、「やりたいこと」と「できたこと」を1行ずつ書く

15分タイマーを置いて今日やりたいこととできたことを書く画像

もし、この記事を読んで「少し試してみたい」と思ったなら、今日の15分はこれでいいと思います。

15分タイマーをかけて、今日やりたいことをひとつ、できたことをひとつ書く。

ここで言う「やりたいこと」は、大きな目標じゃなくて大丈夫です。「散歩したい」「誰かと話したい」「美味しい物食べたい」くらいでいい。

「できたこと」も、小さいほどいいと思います。「冷蔵庫を開ける」「本を手に取る」「帽子をかぶる」「机に戻る」「日記を開いた」「見出しをひとつ書いた」「玄関に出た」でも、ちゃんとアトリログ15の入り口です。

最後にはっきり言いたいことがあります。

毎日の時間は、あわただしく過ぎていきます。「そんな余裕なんてない、夜中でも関係なく電話がかかってくるんだぞ」「自分のために?なにしたらいいんだよ。休日どこにもいけないんだぞ」「日記、記録?何の意味もねーよ」あの頃の僕なら、こんなことを言うのも分かっています。

でも、何もできない日を完全なゼロで終わらせないことはできます。

アトリログ15は、そのために生んだ。
僕が、「何もできなかった」で終わる日を少しずつ減らすために。


今日のまとめ一行
アトリログ15は、コントロールできない時間に流されきらないために、15分だけ手を動かして足跡を残す実験ログです。

今日できる一歩
15分タイマーをかけて、今日やりたいことをひとつ、できたことをひとつだけ書いてみてください。小さすぎる行動でも、それはちゃんとアトリログ15です。

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