この記事で残したいこと
AIの答えをそのまま使わないのは、AIを疑っているからではありません。自分の体験や感情、少しふざけた温度まで、文章から消えないようにするため。
ブログや仕事でChatGPTを使っていると、「助かるんだけど、このまま出していいのかな」と思う瞬間があります。文章は整っている。でも、どこか自分の言葉じゃない気がする。
実際ChatGPTに表現方法の事を相談すると、かなり助かります。これは本当にそう。
頭の中でぐちゃぐちゃしていた考えが、見出しになったり、順番になったり、文章の形になったりする。ブログを書く時も、仕事で考えを整理する時も、SNSやLINEの返信を考える時も、僕はかなりAIに助けられています。
ただ、毎日のようにAIとチャットしていると、たまに「なんか違う」と感じる場面があります……ありません?
大体は「なるほどね」と思います。けれど、逆に「これってどうなんだろう?」と、逆に疑問が深まることもある。感覚としては、僕の言葉がAIが理解しやすい形に整えられたように見える時です。
作っている会社のルールやスタンス。AIが安全に返すための型。そういうものが、返答の奥にうっすら見える気がする時があります。
もちろん、それが悪いわけではありません。むしろ、そのおかげで安心して使える部分もあるはずです。
でも、自分の文章として出すなら、そこで一度止まりたい。
AIの答えを疑うというより、AIの答えを採用しようとしている自分を一度見る。
この記事では、ChatGPTの文章をそのまま使わないために、僕がどこを見直しているのかを書いてみます。
きれいな文章より、顔が見える文章。
ChatGPTの答えは、かなり助かる
まず最初に書いておきたいのは、僕はAIをかなり使っているということです。
ブログのアイデアを壁打ちしてもらう。記事構成を一緒に考える。仕事の文章を整える。ちょっとした単語が思い出せない時に、言葉を探してもらう。
毎日のように、かなり頼っています。
特に、うつ病だった時期は、文章が頭に入ってこないことがありました。判断もぐちゃぐちゃで、自分が何を考えているのか分からなくなることもあった。そんな時に、AIとのやりとりが少しだけメンタルの支えになったこともあります。
だから、この記事はAI批判を書きたいわけではありません。
この記事で見直したいのは、AIそのものではありません。AIの答えを受け取ったあと、そのまま自分の言葉にしてしまいそうになる僕自身の方です。
AIは便利です。ただ、便利だからこそ、少し怖いところもあります。
AIが出してくれる答えは、だいたい整っています。見出しもきれいで、文章の流れも自然で、言葉もそれっぽくまとまっている。自分では出せなかった表現を、ひょいっと出してくれることもあります。
ただ、そのまま受け取ると、自分の考えまで整ったような気になってしまう。
ここが少し怖い。
AIの文章は、きれいに整いすぎると「自分の顔」が消える

最近、自分のプロフィール文をAIに作ってもらったことがありました。
たとえば、こんな文章です。
のりてらブログ運営者。LP・ブログ・発信の改善を現場で考えるWeb担当です。
きれいに見えるだけでなく、伝わる導線や、止まった日の立て直し方を、自分の失敗も含めて記録しています。
同じように迷う側に立ちながら、少し先で試したことを渡せる記事を目指しています。
文章としては、たぶん悪くありません。伝えたいことも、大きくは外れていない。でも、読んだ時に少し引っかかりました。
文章はきれい。けれど、顔が見えない。
整っているのに、少し遠い。「ああ、これかも」と書きながら思いました。
僕が書いたというより、「こういう個人ブログ運営者は、こう説明すると整いますよ」と、きれいに置き換えられた感じがしました。間違ってはいない。けれど、少し遠い。
AIの文章には、整える力があります。でも、その整える力によって、僕が迷った感じや、情けなさや、ちょっとした自分ツッコミまで薄くなることがあります。
そしてこの「のりてらブログ」で残したいのは、完成された成功者っぽい言葉じゃありません。
40代で迷っていること。無職期間やうつ期を通って、自信がなくなったこと。それでも、ブログやWeb制作や日常の小さな行動を通じて、少しずつ立て直そうとしていること。
きれいな説明だけでは、そこが消されてしまう気がします。
AIの文章がうまいことと、自分の文章として出せることは、少し違う。
ChatGPTの答えをそのまま使うと、何が抜け落ちるのか
AIの文章は「自分の体験や感情」が薄くなりやすい
ChatGPTの答えをそのまま使うと、まず抜け落ちやすいのは体験です。
AIは一般論をきれいにまとめてくれます。読者にとって分かりやすい形に並べてくれるし、見出しも自然にしてくれる。でも、そこに僕が実際に感じた「なんか違うな」とか「ちょっと気持ち悪いな」という感覚までは、自動では残りません。
たとえば、noteのエッセイを書く時に、AIにお題やテーマを考えてもらうことがあります。誕生日のエッセイについて相談した時も、いくつかテーマを出してもらいました。
その時、少しネガティブに見えるトーンの案が並んだことがありました。
何の指定もしていなかったせいなのか、誕生日のエッセイのお題を考えてもらった時の一例として
「誕生日に、何者にもなっていなかった」
「誕生日はいつも通りの日だった」
と、こんな提案が出てきました。
たしかに、41歳の誕生日に「何者にもなっていなかった」と書けば、文章としては強いのかもしれません。エッセイらしい重さも出る。読まれやすいタイトルになる可能性もある。
でも、その時の僕が書きたかったのは、そこまで暗い話ではありませんでした。
実際その日にあった、車の修理代が6万円かかったり、服を買うだけで2万円を超えて震えたり、アプリのクーポンをレジ後に見つけて絶望しかけたり。そういう小さなドタバタも含めて、「それでも今日はちゃんと浮かれてみるか」という話でした。
(この時の顛末はこんな記事なりました。興味があればどうぞ)
暗いだけではない。明るいだけでもない。41歳のおじさん(僕)が、ちょっと無理して浮かれてみた日とか。
AIが提案したテーマが正しそうに見えても、自分の温度と合うとは限らない。
言ってしまえばあたりまえです。AIが出したテーマは、文章としては成立していました。けれど、その日の僕の温度とは少し違っていたんです。
そのまま使っていたら、たぶん整って良さそうなエッセイにはなったかもしれません。けれど、僕がその日に感じた変な浮かれ方や、情けなさや、少し笑える感じは薄くなっていた気がします。
正しい文章になるほど、消える温度もある
もうひとつ、のりてらブログでよく感じるのが、SEOチェックをしてもらった時です。
僕は記事を書いたあと、SEO的に問題がないかAIにチェックしてもらうことがあります。見出しの流れや、検索意図とのズレ、分かりにくい部分を見てもらえるので、これはかなり助かっています。
ただ、その時に、感情を込めて書いた文章や、ふざけた温度がマイルドに直されることがあります。
たとえば、ばからシリーズで、こんな一文を書いたことがありました。
ただ、地球上のだれかがふと思った。
「自分の誕生日を、自分で準備してもいいのではないか」
ある作品のオマージュっぽく、少し大げさにふざけて書いた一文です。
これが、AIに整えてもらうと「ただ僕は、ふと思った」に近い形へ直されることがあります。
もちろん、その方が分かりやすいです。文章としても自然。SEO的にも、読者に伝わりやすいのかもしれません。
でも、そこは消してほしくなかった。
その一文には、僕なりのふざけ方や、その場のノリや、「誕生日を本気で準備する」というばからしさが入っていました。そこを整えすぎると、記事の中から笑える温度が消えてしまいます。
そしてこれは、AIはべつに悪くないってことです。
「SEO的に修正して」と頼んだのは僕です。分かりやすくしてほしいとお願いしたのも僕です。だから、AIは指示に沿って整えてくれただけ。
でも、そうじゃないんだよな。
正しい文章に直すことと、自分の記事として残したい温度を守ることは、同じではありません。
この確認をしないままAIの答えをそのまま使うと、記事は読みやすくなるかもしれません。でも、のりてらブログらしさは少しずつ薄くなる気がします。
ハルシネーションがあるから、事実確認は自分に戻す

AIの答えをそのまま使わない理由は、文章の温度だけではありません。
事実確認の問題もあります。
AIは、かなり自然な文章で答えてくれます。だから、文章がきれいだと、情報まで正しいように見えてしまうことがあります。
でも、AIは時々、それっぽく間違えることがあります。一般的には、こういう現象をハルシネーションと呼ぶことがあります。
これが、なかなか怖い。
特に海外のニュースや、最近のWeb・AI・SEOまわりの話題は慎重に見たい。フェイクニュースや古い情報、出どころが曖昧な情報もあります。AIがそれっぽくまとめてくれても、元の情報を確認しないまま使うのは怖い。
仕事でも、とうぜん事実確認が必要になる場面があります。
僕は以前、ECの仕事で、利用規約や特定商取引法に基づく表記の作成に関わったことがありました。載せる情報が合っているか、不足がないか。法律的にも書いていいことか。誤解を生まないか。そういう確認をしてきた経験があります。(まぁ、そういう仕事は最後は弁護士さんに確認してもらうので、大丈夫だとは思うのですが)
だから、AIの答えを見た時も、つい気になります。
・公式サイトに同じ情報があるか
・日付が古くないか
・仕事の記事として載せていい表現か
・自分が責任を持って説明できる内容か
・このURLは本当に合っているのか。
・この情報は公式サイトにあるのか。
・この表現は、仕事の記事として載せていいのか。
AIの文章がそれっぽくても、事実まで正しいとは限らない。
ここは、自分で確認するしかないと思っています。
AIに相談すること自体は悪くありません。むしろ、調べる方向や論点を整理するにはかなり助かります。でも、最後に「これは本当に載せていい情報か」を見る責任までは、AIに渡せないところです。
AIの文章を自分の言葉に戻すために、僕が見直していること

AIの答えを全部疑う必要はないと思っています。
ただ、使う前に一度、自分の文章へ戻す時間は必要です。
これは、僕自身がAIの文章に流されすぎないための確認でもあります。せっかくなので、読者用に少し整えて置いておきます。
AIの文章をそのまま使う前に、僕が一度だけ見ていることです。
- この文章に、自分の体験は残っているか
- きれいになりすぎて、感情やふざけた温度が消えていないか
- 読者に対して、急に先生みたいになっていないか
- 事実として確認が必要な部分を、AI任せにしていないか
- 公開したあとに「これは自分の言葉だ」と思えるか
自分の体験・読者・目的に戻して見る
特に見たいのは、自分の体験です。
AIは、文章をきれいにしてくれます。でも、僕がその時に何を感じたのかまでは、こちらが残そうとしないと消えてしまいます。
迷ったこと。失敗したこと。ちょっと恥ずかしかったこと。怒りや虚しさや、逆に小さくうれしかったこと。
そういうものは、検索意図だけを見ていると削りたくなります。読者のために分かりやすくした方がいい、と考えるほど、余計なものに見える時もあります。
でも、のりてらブログでは、その余計に見える部分が残っていた方がいいこともあります。
きれいな一般論より、「この人、本当にそこで引っかかったんだな」と伝わる文章の方が、自分の記事としては近い。
今のGoogleは、検索順位だけを狙った文章よりも、読んだ人の役に立つ文章を評価する傾向にあるみたいです。独自の体験や、自分で考えたことが入っているかも、見られるポイントのひとつ。
だから、AIで文章を整えたあとに、自分の体験・読者・目的へ戻して見ることは、のりてらブログらしさだけでなく、今の検索の考え方にもわりと合っている気がします。
だから、AIの文章を見直す時は、体験・読者・目的の3つに戻して見ています。
僕が戻している3つの場所
- 体験:自分が実際に感じたことは残っているか
- 読者:上から目線ではなく、隣で話す温度になっているか
- 目的:この記事で本当に残したいことからズレていないか
AI判定を避けるために、わざと文章を崩したいわけではありません。
自分で書いたのにAIっぽく見える文章もあります。逆に、AIを使っていても、自分の体験や判断がちゃんと残っている文章もあるはずです。
僕が避けたいのは、「AIっぽい」と言われることそのものより、文章から自分の顔が消えてしまうことです。
そのまま出して、自分が気持ち悪くないか。
最後は、かなり感覚的になってしまう部分。でも、この気持ち悪さは、意外と大事なサインかもしれません。
おわりに:AI判定を避けるためではなく、自分の言葉を残すために

AIの答えをそのまま使わないと書くと、少しAIを疑っているように見えるかもしれません。
でも、僕はそういうつもりで今回は書いていません。
改めて言いますが、AIには本当にめっちゃ助けられています。文章にならない感情を言葉にしてもらったり、考えがぐちゃぐちゃな時に、少し整理してもらったこともあります。自分ひとりでは書き出せなかった記事も、AIと壁打ちしたから形になったことがあります。
AIを文章生成ツールではなく、考えを外に出す相手として使うことについては「AIで文章を書く前に|ChatGPTと壁打ちして気づいた、自分の考えを外に出す時間の大切さ」でも書いています。
ただ、AIに相談したあと、その答えをそのまま自分の答えにしてしまうのは、少しだけ怖いです。
AIの答えは、完成品というより下書きに近いのかもしれません。
そこから何を残して、何を削って、どこを自分の体験に戻すか。そこまでやって、ようやく自分の記事になる気がします。
AIを使うほど、自分の違和感や判断を最後に残しておきたい。
きれいに書けない日もあります。うまく言葉にできなくて、AIに頼る日もあります。それでも、最後に少しだけ自分の言葉へ戻せたなら、それは自分の記事として残していいのかも。
完璧な文章じゃなくてもいい。でもどうせ書くなら『顔が少し見える文章』でありたい。そんなことを思いながら書く日々です。
AIに頼っても、自分の言葉は残せます。
最初から全部を自分ひとりで書けなくてもいい。言葉が出ない日は、AIに整理してもらってもいいと思っています。
ただ、最後に少しだけ見直す。自分の体験は残っているか。違和感は消えていないか。そこを確認できたなら、AIに助けてもらった文章でも、自分の記事に戻っていく気がします。
この記事で残したい4つのこと
今日のまとめ一行
AIの答えをそのまま使わないのは、AI判定を避けるためではなく、文章から自分の顔を消さないためです。
今日できる一歩
ChatGPTの答えを使う前に、「この文章に自分の体験は残っているか」を一度だけ見直してみる。それだけでも、自分の言葉に戻るきっかけになります。
次に読む一記事
ここまで読んで、「AIに相談する時の聞き方も見直したい」と感じた方は、前回の記事「ChatGPTが肯定ばかりで少し怖い|AIをイエスマンにしない壁打ちの距離感」も置いておきます。今回の記事が「AIの答えを受け取ったあと」の話なら、前回の記事は「AIにどう聞くか」の話です。
ブログ案内
のりてらブログでは、AI、ブログ、Web制作、日常の小さな再出発について、自分の体験をもとに書いています。きれいな正解よりも、迷いながら考えた跡を残していけたらと思っています。


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