ブログが読まれない理由は、SEOやタイトルの弱さだけではないのかもしれません。
もちろん、検索されやすさや導線は大事です。
でも、文章も見た目もきれいに整えているのに、なぜか読まれない時がある。
そういう時に起きているのは、読者が「自分のことだ」と思って入っていける“入口”が薄くなっている状態なのかもしれません。
整った発信は、見た目にはきれいです。
ただ、その整い方によっては、読む人が入る前に少し外へ出されてしまうことがあります。
先日、ある完成度の高いサイトを見ていて、そのことを強く感じました。
今回は、そのサイト研究で引っかかった感覚を手がかりに、ブログが読まれない理由をもう一段深く見直してみます。
そのうえで、自分ごととして読める記事の作り方を、自分のブログにも返しながら考えてみました。

迷う人の入口をつくるWeb担当しています。
LP・ブログ・発信の改善を、日々の現場で考えています。
きれいに整えているのに、なぜか読まれないことがある
ブログが読まれない時、最初に疑いやすいのは「タイトルが弱い」「SEOが足りない」「導入で離脱されている」といった分かりやすい原因だと思います。
実際僕も、そういうふうにGA4やサーチコンソールを見ていました。
もちろん、見出しや検索意図の調整は大事です。
でも、それをひと通り見直しても、まだ説明しきれない時があります。
文章もそれなりに整えた。
見た目も悪くない。
言いたいこともある。
それでも、なぜか読者がするっと入ってこないなー、という感触です。
以前は「まだ自分の実力や何かが足りないんだろう」で済ませていました。
でも今回は、足りないというより「整え方」の方に原因があるのかもしれないと思ったのです。
きっかけは、ある完成度の高いサイトを見ていた時のことでした。
デザインもきれいに整っていて、仕事もちゃんとしていそうでした。
だから最初は、単純に「よくできているな~」と感心してたのです。
ただ、その気持ちと同じくらい、少しだけその世界観へ入りにくさも残りました。
うまく言えなかったんです。
キャッチコピーやスタンスなどの情報が少ないわけではないし。
ビジュアルやWebGLの演出が悪いわけでもないし。
なのに、なぜか自分がここにいていい感じがしなかった。
見たあとに残ったメモを見返すと、そこにはこんな言葉が並んでいました。
「悪いサイトじゃない(むしろ良い)」
「でも体験より、見せられた感じ」
「敷居の高さを感じた」
あとから理屈をつけたというより、まず体が引いて、そのあとに言葉が追いかけてきた感覚でした。

整えすぎた発信は、読者に「理解」を先に求めてしまう
今回見ていたのは、LOLOというブランドエージェンシーのサイトです。
最初に断っておきたいのは、このサイトを否定したいわけではないということです。
王道を上品にまとめた強さがある、本当に良いサイトだと感じました。

見ていて最初に指が止まったのは、情報が少なかったからではありません。
何を大事にしている会社かも伝わってきます。
ただ、その伝わり方が少し特殊でした。
サイトを訪れたこっちはまず、
「何をしてくれるのか」
「自分に関係あるのか」
「どこから見ればいいのか」
という入口を探しています。
でも向こうは、もっと手前で、
「私たちはこう考える」
「こういう温度で仕事をする」
という彼らの空気を、先に見せてくるのです。
その時に起きるのは、説明不足というより「温度のズレ」でした。
こっちはまだ“困っている途中”なのに、“向こうはすでに美しく完結”している。
なんというか、スタンド攻撃を受けた気持ちになりました(笑)。
そのずれがあると、読む側は少しだけ身構えてしまうと思います。
入る前に、まず相手の空気を理解しないといけない感じがするんです。

最初の違和感はここでした。きれいなのに、入口より先に温度が決まっている感じが残りました。
自分のメモを見返していて、いちばん残ったのは「相談の前に理解がいる」という感覚でした。
相談したい時って、最初から考えがまとまっているわけではありません。
何に困っているかはある。
でも、それをまだうまく言葉にできないことの方が多いです。
今の仕事で接客の窓口に立っているのですが、最初から困りごとをきれいに言葉にできる人ばかりではありません。

接客の『ウォークインリード』。突然のご来店の相談でも使える5つのステップはこちら。
だから本当は、サイトや記事にも、その途中のままで入りたい。
少し曖昧なままでも読める感じがほしい。
でも、整った発信ほど、ときどきそれが難しくなります。
世界観も思想もきれいに見えるぶん、
読む側がまず「この人はどう考えるのか」を理解しないと入れない感じがするからです。
そうなると、読者は「自分の悩みを持って入る人」ではなく、まず相手の世界観や考え方を分かろうとする時間が増えます。
使いたい人というより、まず眺める人になる。
その時に、少しだけ敷居が高くなるんだと思います。
ブログでも同じことが起きる
ブログが読まれない時、つい「内容が弱いのかもしれない」「もっと分かりやすくしないと」と考えがちです。
でも今回のことを考えていて、理由はそれだけじゃないと思いました。
書いてあることは間違っていないし、見た目も整っている。
それなのに読者が入ってこない時は、内容が足りないというより、読む前の段階で読者を少し外に立たせてしまっているのかもしれません。
書き手としては、丁寧に整えたつもりです。
言葉も丸くした。流れもきれいにした。
読みやすいように、ちゃんと並べた。
でも、読む人が一番最初に知りたいのは、
「これは自分に関係ある話か」
「今の自分でも読んでいい話か」
「どこから入ればいいのか」
ということです。

そこが見える前に、世界観や整った語りが先に立つと、読者は自分の悩みを持ち込む人ではなく、きれいに並べられたものを受け取る人になってしまいます。
その「観客にされた感じ」が強くなると、読まれる前に止まってしまうのです。
自分のこととして読める記事は、どこが違うのか
LOLOのサイトを見たあと、入りにくい発信と、入っていける発信の違いって何だろうと、自分のブログに照らし合わせて考えてみました。
自分の中で残った感覚を並べると、以下の3つでした。
1. 最初に「これは自分の話か」が少し見えること
記事を開いた時に、いきなり全部を理解したいわけではありません。
入っていける記事は、最初から親切に全部説明してくれる記事というより、「誰の、どんな迷いに向けた話か」が少し見える記事なのだと思います。
2. きれいな言葉の近くに、ちゃんと「場面」があること
「発信」「言語化」「整える」といったきれいな抽象語だけで話が進むと、急に自分の足場がなくなる感じがします。
「何見たらいいのよ?で指が止まった」というような具体的な場面があるからこそ、読者も「わかる、それある」と入っていけます。
3. 「どこから入ればいいか」が見えること
「こんなことで止まっている人へ」「まだうまく言葉にできなくても大丈夫です」。
そういう一言があるだけでも、読む側の気持ちは変わります。読者を甘やかすためではなく、未整理のままでも入ってこれるようにするための「入口」です。

自分のブログでも、整えすぎは起こる
ここまで書いていて、途中から少し怖くなりました。
きれいに整える、言葉を丸くする、流れをそろえる。
そういうことは、僕自身も今まで何回もやってきたからです。
それ自体は悪いことではありません。伝えたいから整えるし、読みにくいよりは読める方がいい。
でも、その整え方によっては、読む人の「で、自分には何があるの?」を後回しにしてしまうことがある。
今回いちばん自分に跳ね返ってきたのは、そこでした。
言葉を丸くしすぎて、熱や迷いが消えた時。
伝え方を上品にしすぎて、誰向けかがぼやけた時。
「なんとなくいい感じ」にはなったけど、読む人の行き先が弱くなった時。
そういう場面は、たしかにありました。
「整えること」と「迎えること」は同じではなかった。
今回、自分が辿り着いたのはそこでした。
アトリログ15:15分で見直すチェック

今回は、アトリログ15としてこの4つだけ見てください。
- 誰の悩みに向けた記事か見える?
- イメージできる場面がある?
- どこから読めばいいか分かる?
- 読む人が置いていかれない?
全部直さなくて大丈夫です。
まずは1記事15分だけ。
読者が自分ごとになる入口が見えるかどうかだけでも、記事の空気はかなり変わると思います。
結論:ブログが読まれないのは、入口まで整えすぎているから
ここまで書いてきたのは、
きれいに整った発信そのものが悪い、という話ではありません。
完成度が高いのに入りにくく感じる時は、読む人が自分のこととして入る前に、まず相手を理解する側へ回されているのかもしれない、という話でした。
言葉を整え、上品にまとめること自体は悪くありません。
でも、その結果として読む人の「自分の居場所」を後ろに追いやってしまうと、記事はきれいだけど少し入りにくいものになります。
読まれる記事に必要なのは、完璧な世界観より先に、「まだこの段階でも見ていい」と感じられる小さな入口なのかもしれません。
だから、読まれるかどうかを分けるのは、文章のきれいさより先に、読者が「自分のことだ」と思って入ってこられる入口があるかどうかなのだと思います。
今日のまとめ一行
ブログが読まれない時は、内容の弱さより先に、読者が入ってこられる入口まで整えすぎて消していないかを見直したいです。
今日できる一歩
自分のブログのトップか最新記事の冒頭を15分だけ見て、「これは誰の、どんな迷いに向けた話か」が最初に見えるかだけ確認してみてください。
それだけでも、かなり変わるはずです。
次に読む一記事
次に読むなら、前回の「動きの多いWebサイトで本当にしんどいのは、『次に何を見ればいいか分からない』ことでした」です。
今回はその続きとして、今度は「そもそも最初から入っていけない時」のことを考えた回になりました。
ブログ案内
のりてらブログは、LP・ブログ・発信の改善を現場で考えるWeb担当が、迷う側に立ちながら、少し先で試したことを渡していくブログです。うまく整った答えだけでなく、今回みたいに、引っかかったメモや途中の違和感も残しながら書いていきます。
最後に
きれいに整えようとしたこと自体は、たぶん間違っていません。
ちゃんと伝えたかったから整えた。そこは責めなくていいと思います。
ただ、もし今ちょっと読まれにくさを感じているなら、足りないのは才能でもセンスでもなく、「読む人が入ってこれる一言」なのかもしれません。
それなら、直せます。
大改造じゃなくていい。
入口をひとつ戻すだけでも、文章の空気はかなり変わります。
今回は、そこに気づけただけでも十分と前進できたと感じました。

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